錯体の応用

最近最も話題となったのは野依良治先生のノーベル賞受賞でしょう. 先生は不斉炭素を有する化合物を効率的に作るという大変難しいテーマに対して 錯体の機能をうまく利用するという解決策を示され, 実用化されています.その他の 化学工業においても非常に効率のよい触媒としての錯体の機能が注目され, 実際に石油化学工業を初め色々な物質の生産にも使われています. また,新しい表示材料として注目を集めているELや太陽電池の素材としても実用化に向けた 研究が進められています. また,医薬品などの分野でも錯体が注目されています.例えばシスプラチンという白金を含む 抗がん剤は広く使われています.

遷移金属錯体を用いる触媒反応の例とその機構

 (反応のところでも1例を示した)

例1 モンサント法酢酸合成 やはりロジウム(I)錯体を触媒として用いてメタノールと一酸化炭素から酢酸を合成する反応です.ヨウ化水素を最初に反応させますが,最後の段階でヨウ化水素は回収され,再び反応に使われます.ヨウ化メチルの酸化的付加,COの挿入,そして還元的脱離による酢酸ヨウ化物(CH3COI)の生成という順で反応が進行します.

例2 チーグラー・ナッタオレフィン重合 (不均一系反応) ポリエチレンやポリプロピレンといった汎用合成樹脂の製造に広く使われている反応です.アルキル基が配位したチタンへのオレフィンの挿入反応が繰り返し起こり,ポリエチレン鎖が炭素2つ分ずつ伸長されていきます.実際にはアルミニウムも共触媒として用いられています.実際は不均一系触媒反応です.

例3 不斉触媒反応 野依良治先生は不斉触媒反応の研究でノーベル賞を受賞された(2001)ことでわかるようにこの分野は特に日本が先進的な研究を発信してきた分野です.

不斉な化合物(光学活性な化合物,すなわち不斉炭素を持つ化合物のようにその化合物の鏡像が元の化合物と同じでないもの)を合成するためには,不斉な化合物を原料にするか,不斉な触媒を用いるなど合成途中で不斉な環境を利用しなければなりません.不斉なホスフィン配位子を有する錯体触媒を用いるとこのことを達成することが可能で,多くの不斉なホスフィン配位子が開発されています.これらの中にはchiraphosのように不斉炭素を持つもの,dipampのように不斉リンを持つもの,binapのように立体障害に基づく不斉構造を持つものなどがあります.(なぜbinapは不斉になるのか考えてみてください)

 不斉合成反応の例としては,L-DOPAの合成をあげておきます.これはパーキンソン病の薬で,L体しか効かないとされています.不斉炭素を持たない化合物を原料にして,水素化反応(水素の付加反応)を行うときに不斉触媒を用いると,水素化がある向きにしか起こらないのです.この後加水分解によってL-DOPAを得ることができます.

これらの例のほかにも,ヒドロホルミル化反応,鈴木-宮浦反応,ヘック反応(両者2011年ノーベル賞)など多くの反応系が開拓されています.調べてみて下さい.

光関係での錯体の利用

色素増感太陽電池

スイスのGraetzelらが開発した電池は,現在のシリコンベースの固体太陽電池と異なり低コストで製造できる可能性があり,現在広く研究されています.伝導性ガラスの表面に非常に細かいサイズの2酸化チタンをちりばめ,その表面にルテニウム錯体(右側の構造)などの光を吸収する分子がつけてあります.この錯体が光を吸収し,電極上に電子を渡すことで発電します.

光合成の模倣

光合成は非常に複雑なシステムですが,光吸収の部分では光を吸収することによって励起状態ができ,その後電子と+電荷が分離されます.これを応用したシステムを作り,もし分離がうまくいけば水溶液中で電子を渡された側では水素を発生させ(2H+ + 2e- → H2),+電荷が渡された側では,酸素を発生させる(2H2O → O2 + 4H+ + 4e-)ことで水の分解が可能となります.この考え方を実現すべく世界中で研究が活発に行われています.

EL素子 

有機ELは20年ほど前に発明された.その後長い期間を経て実用化にいたっている.1999年にEL用の発光材料にはりん光が主体の金属錯体が有利であることが発表され,金属錯体の発光の研究が盛んに行われるようになった.図(右下)に示すのはこれらの研究によく用いられるフェニルピリジンが配意したイリジウム錯体[Ir(ppy)3]である.現在携帯電話やPDAで有機EL素子は実用化されており,赤色の発光材料は錯体が主と言われている(企業秘密で内情はよく分からないことが多い)

 

医薬への応用

1960年代,白金錯体が抗がん剤になりうることが発見されました.その後研究が進められ,現在一部のがんの治療に対して広く用いられる治療薬として使われています.この白金錯体はがん細胞のDNAに結合する(下図)ことでがん細胞の増殖を抑制するとされています.

[PtCl2(NH3)2]+DNA (F.Coste, J.M.Malinge, L.Serre, W.Shepard, M.Roth, M.Leng, C.Zelwer, Nucleic Acids Res., 1999)

その他に多くの抗がん剤の候補としての金属錯体が研究されています.また,MRI画像診断のコントラスト増強剤としてGd(ガドリニウム)錯体が,腎機能診断をはじめとする核医学の診断剤として99Tc(テクネチウム)剤が用いられています.